フラットコーテッドレトリーバー ジョーの写真ブログへお越しいただき、ありがとうございます。
ジョーはスウェーデンで生まれ、生後半年足らずで日本の飼い主さんの元へやってきましたが、飼い続けることができないご家庭の事情となり、飼い主さんの知人である主人にジョーを託されました。
我が家の黒いラブラドール、リバーが11年で亡くなってから1年が過ぎたころでした。
ジョーと暮らし始めるにあたって、フラットコーテッドレトリーバーの純粋な血統を守るため、繁殖は行わないことを関係の方から念押されました。
もちろん異存などあるわけはありません。
…それから10年という時間がほんとう~にあっという間に過ぎ、ブログ冒頭にも記したように、ジョーは令和3年8月27日 11歳で亡くなりました。
死因は肝臓腫瘍でした。
11歳でお別れとなるまでの病気の経緯、最期をまとめさせていただきます。
病気の始まりは、令和3年2月。
仕事から帰宅した私の目に入った、カーペットの血痕からでした。
なんの血だろう?
と思い、いつもよりは静かに伏せていたジョーのお腹を見ると、500円玉くらいの赤いアザが数ヶ所ありました。
カーペットに付いていた血痕はその赤いアザからにじみ出たもののようでした。
翌朝、いつもお世話になっている動物病院へ行き、血液検査によって血小板の数値が「0」であることがわかりました。
そして超音波により、肝臓に大きな(15cmほどの)腫瘍、他の臓器にも小さな腫瘍があることもわかりました。
獣医の先生が仰るには、
腫瘍を検査するためには針を使っての生検となるため、万が一の為に輸血を行うことができる設備のある病院で検査をするのが最良である。
ということで、より大きな動物病院を紹介して下さいました。
しかし、現在の血小板の数値ではその検査を行うことができないため、まずは血小板の数値を改善する薬による治療を現獣医さんの元で行うこととなりました。
思ってもみない診断でした。
その時点でも、いつ腫瘍が破裂してもおかしくないので安静に。
という状態でしたが、ジョーは食欲もあり、元気もあり、静かに日々を過ごす といった状態でした。
それから2ヶ月経過した4月。
薬により、血小板の数値が改善されたため、輸血を伴った検査を行える病院へ転院。
大きな病院での診断により、腫瘍の検査は針ではなく、全身麻酔をかけたMRIを行うことになりました。
検査のために、前夜10時以降飲食を禁止され…そのせいなのかどうなのかはわかりませんが翌朝、急に動けなくなったジョーを病院へ運びました。
点滴や酸素ルームで1日過ごし、落ち着いたため、MRIの検査が行われました。
合わせて3日ほど入院しました。
その結果、ジョーの腫瘍は手術は不可能な状態であることがわかりました。
正確な表現ではないかもしれませんが、腫瘍が血管を取り巻いているため手術は危険で行えない。。とかそういったことでした。
検査の結果が出てからは毎日1度薬をのみ、月に一度の診察に病院へ通いました。
ジョーには痛みや苦しそうな様子は全くなく、食欲もあり、おやつもしっかりねだり…そんなジョーに奇跡が起きて腫瘍が消えてなくなることをずっと祈っていました。
「なんでも欲しがるものを食べさせて」
と言われていたので、ジョーの大好きなレバーや鶏ささみ・胸肉、かぼちゃやさつまいもなどを切らすことなく用意して、獣医さんに推奨されたドッグフード「ロイヤルカナン」(消化器サポート)と一緒に、あるいはおやつとして与えていました。
そんな日々の中、急に突然、立ち上がれなくなることが月に1度ほどの頻度でありました。
病院へ緊急で連れて行き、点滴・注射を行っていただくと動けるようになりました。
貧血によってそうなるのだそうですが、根本的な治療ができる状態ではないため、あくまでもその時楽になるような手当をずっと続けてくださいました。
…そして今思えば、ジョーの状態ががくっと悪化したのは、亡くなる1週間前頃からでした。
それまでの間はゆるやかに下降していたためそんな状態に慣れ、ジョーの状態をできるだけポジティブに、明るく受け取って暮らしていました。
しっかり食べた時は、「よかった!これでよくなっていく!」など、ごく自然にそんなふうに思っていました。
痛がったり苦しがったりする様子が見られなかったので、そう感じられたのかもしれません。
ジョーは当然、普通ではないことを実感していただろうに。
少しずつ痩せていき、頭のてっぺんもごつごつととがったようになってしまいました。
それでもジョーは毛づやもよく、最高に可愛い子でした。
亡くなる1週間ほど前からは急に力がなくなり、立ち上がるのがやっとでしたが、オシッコやウンチをするために表に行きたがり、ゆっくり玄関へと向かいます。
マンション3Fの我が家から夫婦でシートに乗せて、シートごとキャリーに乗せて、エレベーターで1Fに運び、抱えて地面に降ろしてやると排泄します。
1日に4回ほど、夫婦で夢中で行っていました。
ジョーが心地よく過ごせるようにということだけが、いつも頭にありました。
そんな状態でも、まさかジョーがもうすぐ逝ってしまうとは思っていなかった。
食は細くなっていましたが、時にしっかり食べる時もあり、そんな時は2人で大喜びしていました。
…ジョーの最期は、突然でした。
わかっていたはずなのに。
信じられなかった。
前夜から食欲がほとんどなく、吐き気がおさまらず、一晩中ジョーに添い寝した8月27日の朝一番に病院へ連れていきました。
吐き気を軽減させてあげたくて。
普段はコロナの影響もあり主人1人しか診察室に入ることができないのですが、ジョーを抱えるためにその日診察の最後に診察室に入った私は先生に、
「エネルギーチュール(病院待合室で販売されていた)を与えてもいいですか?」
と聞きました。
水分も摂れてませんが…とも。
先生は、おそらく内心、
「すでにそういう状態ではないことがまだわからないのか…」と思われたと思いますが、ジョーの回復のことしか頭にない私に優しく、
「もちろんいいですよ。でも、貧血でふらふら~の状態なので。そういう時、誰だって食べる気になんてなりませんよね。点滴しましたので水分も心配ないですよ」
と。
主人には
「急に意識がなくなったり、倒れたりした時は、無理な延命はしないように。苦しむだけだから」
と、3週間ほど前に言ったことをこの日も話したと。
前に聞いた時もこの日もこの言葉を聞いて感じたことは
「ああ、そうなんだ。いつかそうなった時にはそうするべきなんだ」
と。。
「もっと先のいつか」だとしか思えませんでした。
帰り道の車の中で頭にあったのは、
点滴や注射をしていただいて、これで少し楽になってほんとによかった。
今朝はまだオシッコをしていない。
来週の仕事はどうするか…(その日は金曜日)
ということだけでした。
車で15分ほどでマンションに着き、キャリーに乗せる前に地面にそっと降ろした時、ジョーはオシッコをしました。
今朝はまだオシッコをしていなかったので、それを見て
「あ、よかった」
と思っていると、ジョーはオシッコをしながらその場に座りこみました。
オシッコが終わり、家まで戻るためのキャリーに乗せるために一人でジョーを抱いてそっと寝かせる…その時主人が叫びました。
「ジョー!ジョー!」
抱えていたとき、ジョーの身体がふっと重くなった。
…その時がジョーが息をひきとった瞬間でした。
大好きなお父さんの腕の中で、ジョーはふっと生を終えました。
翌日主人は早朝からの仕事がありどうして休めないこと(息子に介護の援助を頼んでいた)、真夏のとても暑い日だったこともあり、ドライアイスを買いに家を飛び出す主人の指示で、すぐに長楽寺さんへ連絡しました。
ジョーの先代のラブラドールレトリーバー、黒ラブのリバーが12年前にお世話になった名古屋市南区呼続の動物霊園です。
その日長楽寺さんには幸い空きの時間があり、午後1時30分からの葬儀・火葬を行うことができました。
心のこもった手厚いお弔いをしていただきました。
悪い夢のような…だけど不思議なくらい物事になんの差しさわりもなく、まるでなにかの取り計らいであるかのように全てがスムーズに進んでいく一日でした。
夫婦で大泣きし、茫然とぼんやりし、気持ちを言葉にすることもできないような一日。
令和3年8月27日(金)でした。